6月最終礼拝、今年の前半期最終礼拝でした。 2022.6/26(日)
≪今週のみ言葉≫
「私とあなたが交わしたことばについては、【主】が私とあなたの間の永遠の証人です。」サムエル記第一20章23節
説教題: 『愛の約束』 聖書:サムエル記第一20章18~42節
6/5,12,19と教会暦、教会行事が続きましたが、今週と来週とで5/8~7/3「サムエルとダビデ」のカリキュラムを終わります。7/10~8/7は「キリストのたとえ」となります。
『愛の約束』とタイトルしましたが、『牧羊者』では『愛の契約」です。契約の方が、約束よりも堅いつながり、絆であることを表現します。サムエル記第一20章は、何度通読しても涙を禁じ得ないところです。
Ⅰ.サウル王とダビデ 対巨人ゴリヤテ戦で圧勝したダビデをサウル王は召し抱えました。サウルに遣わされては戦勝を収めて帰ってくるダビデを迎えて、女達は笑いながら歌い交わしたのでした。(18・7)「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った。」サウルは怒り、それはやがて妬みの炎となりました。更には国を継がせるべき息子ヨナタンとダビデとの友情を知っては、ダビデを生かしてはおけない思いに駆られたわけです。サウル王は「イスラエルは神の支配される国であることを忘れ、自分の国、自分の息子が受け継ぐべき国と思い込んでいた。最初、サムエルから油を注がれた時、荷物の間に隠れていた謙遜さ(10・22)は、もはやこの時には失われていた。王権は彼を傲慢にしたのである。」(『牧羊者』P.89)
Ⅱ.ヨナタンとダビデ 「ダビデがサウルと語り終えたとき、ヨナタンの心はダビデの心に結びついた。「ヨナタンは、自分自身のようにダビデを愛した。~ヨナタンは、自分自身のようにダビデを愛したので、ダビデと契約を結んだ。」(18・1,3) 本日のテキストの出来事は、新月祭での食事に欠席したダビデに対して、サウル王が、ダビデを擁護しようとするヨナタンに槍を投げつけたことで、サウル王の心が決定的であることが分かり、野原での別れとなったことが記されています。20章42節、最後の一文「そして、ダビデは立ち去った。ヨナタンは町へ帰っていった。」ありふれたこの一文の奥深くの解説に、30年前、感動したF.B.マイヤー著『羊飼い・詩人・王』ーダビデの生涯からー(P.74,75)より引用します。 7.ヨナタン「おそらく彼は『時間があるうちに、なぜこの沈んでいく船から脱出しないのか』という思いに駆られたことだろう。なぜおまえは、神が選ばれた者と運命を共にしないのか。友の回りには美しい新王国ができつつある。ー父親に弓を引くことになったとしても、その王国と手を結ぶべきではないか。この誘惑は、もっともらしく巧妙なものであったが、ヨナタンには通用しなかった。人間の愛のきずなより強いものは義務感であり、息子としての身分であり、また神が油を注がれた王への忠誠心であった。彼はぎりぎりのところで自分の心の願いに背を向け、父親のそばにいる道を選び取った。それからあと、彼はこの選択から片時たりとも尻込みすることがなかった。~ペリシテ人との最後の戦いに臨んだ時、ヨナタンは、~父親のそばで戦ったのである。それは、歴史の記録に残る、情熱に対する道義心の勝利、心の傾斜に対する義務感の勝利の最も壮大な例の一つであった。ヨナタンは英雄として死んだ。~人の心の最も強い情熱に打ち勝ったゆえに真の英雄であった。」主にあるこの契約は、子々孫々にまで引き継がれていったことが聖書に記されています。(サムエル記第二9章)
<お知らせ>
・早くも前半期を終わろうとしています。
コロナ禍も教会では対面での礼拝、祈祷会、教会学校を持つことができ大感謝です。
・7/1㈮には「今月のメッセージ」「7月のお祈り」「ヘッダー(デージー)」が更新されます。
・後半期も守られると共に、クリスマスに向けて「魂の収穫」のためにも祈り労したく願います。前半期のお祈りを感謝し、後半期もなおよろしくお祈り下さい。