ペンテコステ(聖霊降臨)待望祈祷週間です。2023.5/21(日)

《今週のみことば》

「心の貧しい人は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」 マタイの福音書5章3節

◇牧師館より祈りを込めて      5/21㈰ 礼拝説教概要

     説教題:幸せな人   聖書:マタイの福音書5章1~12節

     「心の貧しい人は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」
                                 マタイの福音書5章3節

 牧羊者カリキュラムは、今日から6月一杯は「キリストの教え」です。【ここにはイエス・キリストの幸い論があります。八つの幸について語っておられます。イエス様の幸福論はまことにユニークです。人が考える幸い、この世の期待する幸いとは全く違っており、正に真逆をいくものです。世の基準ではとても測れず、むしろ不幸と思われていることが幸いのしるしのであるかのようです。その理由は、主はこの世ではなく神の国の幸い、神の国の民とされた者の幸いを語っておられるからです。】(『牧羊者』P.59) 本日は、いわゆる一般に「八福の教え」と呼ばれている中の初めの一句(3節)のみを味わいます。この幸いというヘブル原語は、〈人がほとほとうらやむような幸い〉を意味していると聞いたことがあります。一体どんな幸い、どんな幸せなのだろうと、身を乗り出して聞くと、「心の貧しい者は幸いです」と始まります。

Ⅰ.心貧しい者の幸せ 

「心の貧しい人」について、貧しいゆえに物乞いをする人にたとえられるとも聞きました。すなわち自分の内には何一つ寄り頼むべきものを持たない人、徹底的に貧しい人のことです。つまり「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。」(詩篇34篇18節)「神へのいけにえは、砕かれた霊。打たれ砕かれた心。神よ、あなたはそれを蔑まれません。」(詩篇51篇17節)にあるように、心の打ち砕かれている人、霊の砕かれた人こそが、真に幸せな人であるとイエス様は言われます。そうしてへりくだって全面的に神に信頼している人の内には「天の御国」が既に到来しているからと言われます。

Ⅱ.天の御国に住まう幸せ 

【「天の御国」とは神様がおられるところ、世界の王様である神様が支配されているところです。「支配」という漢字をよく見てみると、「支える」と「配る」という漢字が使われています。神様が支えてくださり、心を配っていて下さっているところが「天の御国」なのです。もしわたしたちが心を低くして「神様、信じます。神様ごめんなさい。神様ありがとうございます。」と、お祈りすれば、イエス様が心の中に入って下さって、心の中に安心や平和や優しさがいっぱいに広がって、とても豊かになるのですね。あれれ、貧しかったはずの心がイエス様によって豊かになりました!】(『牧羊者』P.58) 誰よりも心貧しくあられたお方が、イエス様であられました。「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。」(ピリピ人への手紙2章6~8節) イエス様こそ最も幸せなお方であり、私達の本当の幸せもすべて、イエス様のもとにあるのです。

<お知らせ>

▷5/16(火)に93才の兄弟が天の父のみもとに召されました。5/17(水)前夜式、5/18(木)告別式がキリスト教式でベルモニー会館で行われました。牧師が司式し、信徒の方々も参列されましたが、本日の礼拝の時に、お写真を飾って追悼祈祷をささげました。ご遺族は勿論、神の家族の私たちも寂しい思いですが、「天国での再会」を待ち望めますことを思い、主を崇めます。

▷次週はいよいよ「ペンテコステ(聖霊降臨)記念礼拝」です。一人ひとりが聖霊に満たされ、キリストのよき証人とされて用いられますようにとお祈りいたします。