午後からサックスフォン&メッセージコンサートでした。2023.10/8(日)
「私は母の胎にいる時から神に献げられたナジル人だからだ。」士師記16章17節
説教題:『神に選ばれて』 聖書:士師記16章4~6、15~22節
【もし私が自分で自分の人生を握っていくなら、きっとメチャクチャです。キリストに出会って救われる前を思えば明白です。】(『神と共に歩む日々』10/5分P.296) その10/5㈭朝、毎日デボーションに拙著を用いて下さる呉市お住まいの藤井圭子先生からお電話を頂きました。「本当にアーメン、その通りだわ」とうなづきながら読ませて頂きましたと。先生はご存知のように、尼僧からキリスト者へと、驚くべき神の選びにあずかられ、文筆活動や国内外での講演でキリストを証しして来られました。小児科医としての本業の他にです。11/15㈬で87才になられようとしておられ、対外的ご用も引退とのことです。お祈りと共に折々のお電話で教えられ励まされ、光栄と感謝でいっぱいです。
Ⅰ.聖別の神に選ばれて(士師記13~15章) サムソンの父の名はマノア、ダンの氏族出身ですが、妻の名は記されていません。その不妊の妻にいきなり現れて男の子を生むと告げ、「その子は胎内にいるときから、神に献げられたナジル人だから。彼はイスラエルをペリシテ人の手から救い始める。」(13・5)「お名前は何とおっしゃいますか。」と二人が主の使いに尋ねると、「わたしの名は不思議という。」
との返事でした。(13・18)産まれ出た男の子はサムソンと名付けられ、主は彼を祝福されたのでした。(13・14)。<ナジル人>とは「聖別された者」という意味を持ち、一時的献身、あるいは生涯に亘る献身とあり、サムソンの場合は後者で、具体的な守るべき律法は、民数記6章に詳しく記されています。酒を飲んだり汚れたものを食べたりしない、頭にかみそりを当ててはならない等の規定の内にナジル人として神からの選びと使命に生きていく存在です。サムソンがその規定の内を歩む間、神は彼に「怪力」という特別な賜物を与えてペリシテ人からイスラエルを救う働きのために用いられました。
Ⅱ.回復の神に選ばれて(16章) ソレクの谷にいたペリシテの女で、名をデリラという人との出会いがサムソンの人生を狂わせ始めました。サムソンは神の霊にではなく、肉の情に流される者となってしまいました。ペリシテの領主たちに買収されたデリラは今でおおよそ250~300万円くらいの額に目と心がくらまされて、サムソンの「怪力」の秘密を探ろうとします。あまりのデリラのしつこさにサムソンはとうとうその力の秘密を打ち明けてしまいました。悲しいかな、本日のみことばが語られ、ついに力の源である頭髪を刈られてしまいました。当然、力は失せ去り、「彼は、主が自分から離れられたことを知らなかった」(20)のでした。ペリシテ人に捕らえられ両目をえぐり出され、青銅の足かせにつながれ、サムソンは牢の中で臼をひいていました。「しかしサムソンの髪の毛は、剃り落とされてからまた伸び始めた。」のでした(22)。異教ダゴンの祭りの日まで、どれくらいの日数だったでしょうか。牢の中でサムソンは徹底した悔い改めに導かれたに違いありません。その祭りの場にペリシテ人たちはサムソンを引いて来て、見世物にしました。サムソンは神に祈り両手で2本の柱を押し広げて、神殿を崩壊させました。屋上の3,000人、神殿の中のすべてのペリシテ人が死に、サムソンも共に死にました。「こうしてサムソンが死ぬときに殺した者は、彼が生きている間に殺した者よりも多かった」(30)と、士師としての功績がたたえられ、ヘブル11・32では信仰の勇者としてたたえられています。私たちの神は回復の神です!
<お知らせ>
▶本日14:00~祈り待ち望んできました、岸義紘先生をお迎えしての「サクソフォン&メッセージコンサート」です。願わくはチラシが用いられて新しい方々も集われますように!と主に祈り期待しています。YouTube配信をいたしますのでどうぞ共に恵みにあずかって下さい。
▶次週は、13:00~14:00【歌声カフェ⑤】です。毎回、どの曲を歌い、またその歌の背景などを
知り、味わう楽しみなひと時です。もちろん美味しいデザートも楽しみの一つです。
「福音」がしっとりと伝えられるツールとして用いられますようお祈り下さい。