青年祝福礼拝でした。2024.1/14(日)

≪今週のみ言葉≫

    「神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」エペソ人への手紙1章3節

  説教題:『祝福の民』    聖書:エペソ人への手紙1章1~14節

エペソ・ピリピ・コロサイ・ピレモン、これら4書簡は、「獄中書簡」と呼ばれ、パウロがローマの獄中から記したものです。「エペソ人への手紙」は「キリストのからだなる教会」について、「コロサイ人への手紙」は、「教会のかしらであるキリスト」というのが、その主題です。「神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロから、キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ。」(1)との書き出しですが、重要な写本には「エペソ」のところが空欄になっており、原典やその写本では「○○の」となっていて、これは回状的書簡であっただろうと言われています。本日の聖書箇所は「父なる神への賛美の歌」その後の15~23節までは「パウロのとりなしの祈り」です。そして本日の中心聖句は1章全体の鍵になるみことばです。【神は、何を一番願っておいでになるかというと、愛する者たちに霊のもろもろの祝福をお与えくださることだというのです。ここで言う「祝福」とは、一つは「選び」で、もう一つは「贖い」、すなわち私たちの救いです。小島伊助先生は、『エペソ人への手紙』の1章の中で言われている用語を拾ってみると、まるでダイヤモンドを拾うような感じがする。そしてこれを連ねてみると、ネックレスのように、真珠の玉が連ねられているようである」と言われましたが、まさにそうだと思います。どれ一つをとってみても一回の礼拝では間に合わないくらいの、実に豊かな内容の言葉がここに用いられているわけです。】(説教『エペソ人への手紙』小林和夫・著)

Ⅰ.選びの祝福 「すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。」(4)パウロがこの神の選びの愛の結論に至る前段階がありました。A.D.55年に記されたコリント人への手紙第一の中に、人の選びと大きくかけ離れた神の選びが記されています。「有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や、見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。」(1・28)また同じく北ガラテヤ説によると、A.D.55年に記されたガラテヤ人への手紙1・15には、「しかし、母の胎にあるときから私を選び出し、恵みをもって召してくださった神」とあります。更に晩年を迎えたパウロがA.D.61年に、このエペソ人への手紙を記したのでした。自分の救いは、神の恵み以外の何ものでもない。「そうだ、お母さんのおなかどころではない。世の未だ成る前から、キリストの内に私は選ばれていたんだ」と、歴史を超えた神の愛の事実を御霊に示されて告白しました。「もし世界に救われないという人がいるとするならば、あの人だ」と言われる、その人が救われました!ステパノの殉教死を直面し、ダマスコ教会をつぶしに行ったその人物が救われてしまいました!それは「神の民として、神をほめたたえるために選ばれた」(12)ということです。

Ⅱ.贖いの祝福 「このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。」(7)20節には神がイエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせたとあります。この血による十字架の死による贖い、復活による贖いということを、イエス・キリストを通して神はなさるという計画を、すでに永遠の昔にお立てになっておられたのです。「教会とは、復活昇天のキリストが聖霊によって現臨する場である。」(オスカー・クルマン)

〈お知らせ〉 

▶ 能登震災被災者の方々のためにまた、救援にあたられる方々のために日々祈ると共に教会としても    支援献金箱を用意して送金させて頂こうとしています。

▶ 今週水曜日、1/17は阪神淡路大震災から29年となります。祈りの時を持たせて頂きます。

▶ 大変な中を生きる幼な子たち、小中学生、高校生、大学生、青年たちが一日も早く永遠の救い主と出会うために祈り、教会がクリスチャン一人一人がそのために用いられるこの年となりますよう、祈ります。