敬老礼拝、改めて『ファミリー礼拝』でした。2024.9/8(日)
タイトル。 2024.9/8(日)
≪今週のみ言葉≫
「わたしに何をしてほしいのですか。」ルカの福音書18章41節
説教題:『神様に祈ろう』 聖書:ルカの福音書18章35~43節
「わたしは彼をとこしえのいのち(長い日々)で満ちたらせ わたしの救いを彼に見せる。」 詩篇91篇16節
「長い日々」すなわち「長寿」は神の祝福であり、賜物であると、聖書は語ります。クリスチャンであれば少しでも長く地上にあって「主の証人」として生かされたく願うものです。と共に、肉体的には加齢ということになり、思うように動けなくなっていきます。障害を持つ方々の気持ちも分かってくるということになります。今、パリにおいては「パラリンピック」が行われ、車椅子の方々の金メダル獲得という、目を見張るような記事に心が感動します。本日のテキストは、まさに「盲目」という障害を負う方の実話です。
Ⅰ.盲人の信仰の叫び 「イエスがエリコに近づいたとき、一人の目の見えない人が道端に座り、物乞いをしていた。」(35)マルコは彼の名を「ティマイの子、バルティマイ」と記しています(マルコ10・46)。この人は目は見えませんでしたが、耳は良く聞こえたようで、「彼は群衆が通っていくのを耳にして、これはいったい何事かと尋ねた」(36)のでした。ナザレ人イエスがお通りになるのだと人々が知らせると、彼は大声で、「ダビデの子のイエス様、私をあわれんでください」と言ったのでした(38)。先を行く人たちが、黙らせようとしてたしなめたが、その人はますます激しく「ダビデの子よ、私をあわれんでください」と叫んだ(39)のでした。この盲人は、周囲の人々の黙らせようとする圧力に屈しませんでした。それどころか、聞こえる耳と共に叫べる口をもって、ますます大声で叫び求めたのでした。【自分を癒す力を持つと信じるイエスとのつながりを、彼は求め続けた。その粘り強さを、イエスは彼の信仰と呼ばれた。】(『牧羊者』p.68)盲人の信仰は、彼に粘り強い叫びを叫ばしめたのでした。
Ⅱ.盲人の信仰による癒やし 信仰によって粘り強く叫び続けるこの盲人を、ご自分のみもとに連れて来るようにと、イエスは立ち止まり、弟子たちに命じられ、彼がイエスの近くに来た時、イエスは彼に尋ねました。「わたしに何をしてほしいのですか。」(41)今更尋ねるまでもなく、この盲人の心からの粘り強い信仰の叫びは、「目の癒し」以外の何ものでもないと、イエスも承知しておられたのは当然でしたが、あえて尋ねられたのでした。それは、彼の内から信仰を引き出すため、告白させるためでした。「主よ、目が見えるようにしてください。」(41)。イエスは直ちに彼に言われました。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救いました。」(42)香油を塗った女(7・50)にも、長血の女(17・19)にも同じ言葉が告げられました。「その人はただちに見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て、民はみな神を賛美した。」(43)【人の側の信仰に応答して、神の力による癒やしが実現されたのである。ここで言う信仰とは、「ダビデの子」という信仰告白よりもむしろ、群衆の圧力に屈しなかった彼の根気強さを直接的に指すと見る点で、多くの注解者は一致している。】(『牧羊者』p.68)『ただちに』なされた癒やしの、神のみわざに、本人も、そこにいた民すべてが、神を賛美したのでした。ハレルヤ!
<お知らせ>
▶【長寿】は、神からの祝福の賜物です。本日は、礼拝の中で、80才以上の兄姉21名のために祝福をお祈りし、プレゼントをお送りしました。なお長寿の祝福へとお元気に進んで頂きたいです。
▶迎えます9/15(日)15:30~第47回西日本再臨待望大会が、岡山にある、小野牧師の母教会、神の国キリスト教会で行われ、その聖会Ⅰのご用を小野牧師がさせて頂きます。大会は、9/16(月祝)聖会Ⅳまで行われますが、小野牧師はご用の後、高松に帰ります。
▶9/16(月祝)高松田村町教会にて、10:30~14:30教区伝道応援「賛美集会」が行われます。当教会より12名、全体では50名ほどとなり楽しみです。Pastors` Bandが、♪Shine,Jesus,Shine!をピアノとギター3本で賛美いたします。