第Ⅲアドベント礼拝でした。2024.12/15(日)

≪今週のみ言葉≫

 「いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。」ルカの福音書15章4

 

説教題:『良い羊飼い』   聖書:ルカ15章1~7

   

『牧羊者』カリキュラムで「キリストのたとえ話」を学んでいます。誰に対して語られたか、により、また味わいも変わってきます。先週の二つのたとえ話は大勢の群衆に振り向いてイエスは語られました。本日のたとえ話は、「パリサイ人たち、律法学者たち」(2)に対して語られたものでした。

Ⅰ.イエスのたとえ 「さて、取税人たちや罪人たちがみな、話を聞こうとしてイエスの近くにやってきた。(1)それを見たパリサイ人たちや律法学者たちがイエスに向かって文句を言ったのでした。「この人は罪人たちを受け入れて、一緒に食事をしている」(2)と!イエスはそういう彼らの心と言葉に対して4~7節のたとえを話されました。「一匹の迷子の羊」のたとえです。「あなたがたのうちのだれかが羊を百匹持っていて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。」(4)どうでしょうか?九十九匹もいるんだから、一匹くらいいなくなっても~と思うでしょうか?『良い羊飼い』であるならば、当然「いなくなった一匹の迷子の羊」を捜すでしょう。そうです。見つけるまで捜すはずです。そして見つけたら!喜んで羊を肩に担ぎ、家に帰って友人や近所の人たちに声をかけ、「一緒に喜んで下さい。いなくなった羊を見つけましたから」と、喜びを分かち合うに違いありません。イエスは続けます。「それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、大きな喜びが天にあるのです。」(7)自称義人であったパリサイ人たちや律法学者は、悔い改める必要の無い人たちでした。しかし、一人の罪人の悔い改めが、どれほど天の父にとって大きな喜びであるかを、イエスはこのたとえを持って言われたかったのでした。

Ⅱ.イエスの実存 「わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。」(ヨハネ10・10~11)《豊かないのち》という時、ダビデ王の歌った詩篇23篇を想います。「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに私を義の道に導かれます。」(詩篇23・1~3)『良い羊飼いなる主』を、ダビデは自ら羊を飼いながら偲び、歌ったことでした。 やがてイエスが受肉降誕され、「ダビデの子」メシアとして33年半の地上の生涯を送られ、全人類(私一人)のために十字架にかかって血を流し、いのちを捨てて下さったことにより、罪の赦しと永遠の命が豊かに与えられる事になりました。迷子の羊であった「私」も捜し出して救って下さいました。イエスにあって《豊かないのち》に日々生かされましょう。

    

<お知らせ> 

▷礼拝後は、第11回「歌声カフェ」をもって、クリスマス・キャロルをたくさん賛美しました♪

▷次週は早くも、今年のクリスマス礼拝日です。5年ぶりの愛餐会や楽しい交わりの時を楽しみにしています。久しぶりの方々や新しい方々の来会をお祈りしています。

▷『愛と希望の祭典・四国』の働きの中で「私もアンデレ」活動として「アンデレ・カード」に救われて欲しい10名の方々のお名前を記し、個人だけでなく教会の祈禱会にてもお名前をあげてお祈りします。心が燃やされる時です。祈りに必ずお応えて下さる神様への期待にあふれます。