「8月や 6日9日 15日」 2025.8/10(日)
≪今週のみ言葉≫「身を洗ってきよくなりなさい。」 列王記第二5章13節
説教題: 『神によるいやし』 聖 書:列王記第二5章1~14節
預言者エリシャに関して、3回目のメッセージです。【ここはナアマンのツァラアトの癒し(きよめ)の記事であるが、ただ癒しだけにとどまらず、回心にまで至った(15)。当時の多くのユダヤ人が預言者の訓告を気にも留めない時代であり、多くのツアラトの患者がいたが、誰もきよめられることはなかった。その中で、異邦人であるナアマン(慈悲深いの意)だけが預言者による神の言葉に従い、きよめられたのである。イエスは、この事をご自身の郷里の人々の不信仰を指摘する時に語っている。(ルカ4・27)。(『牧羊者』p.39) ~「ツァラアトについてのエピソード」~
Ⅰ. のだろうと思った(口語訳)(11)。
「アラムの王の軍の長ナアマンは、その主君に重んじられ尊敬されていた。それは、主が以前に、彼を通してアラムに勝利を与えられたからであった。この人は勇士であったが、ツァラアトに冒されていた。」(1)外面的には重んじられ尊敬されていながらも、内面的に隠れた部分において深い悩みを持っていました。ここに用いられた一人の人がいました。イスラエルの地から捕らえられてきていた一人の若い娘で、彼女はナアマンの妻に仕えていたのでした。彼女は女主人に言いました。サマリアにいる預言者はきっと、ご主人様のツァラアトを治してくださるでしょうと。アラムの王の所にナアマンは行き、許可と共に手紙と贈り物を受けて、イスラエルの王の所に出かけました。衣を裂くイスラエルの王のもとにエリシャは人をつかわし、ナアマンを自分の所に招きます。ナアマンがエリシャの家の入り口に立った時、エリシャは、使者を遣わして言わせました。「ヨルダン川へ行って、七回あなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだは元どおりになって、きよくなります。」(10)と。それに対して、何とナアマンは激怒して去り、言ったのでした。「何ということだ。私は、彼がきっと出て来て立ち、彼の神、主の名を呼んで、この患部の上で手を動かし、ツァラアトに冒されたこの者を治してくれると思っていた。」(11)<のだろうと思った>(11、口語訳)人はどこまでも誇り高く、自分の考えに固執する存在だとよく分かります。川についてまで文句を並べます。「憤って帰途についた」(12)ままだったら一体どうだったでしょう!?
Ⅱ. と言うだけではありませんか(口語訳)(13)。
ここにも神に用いられた名もないしもべたちがいました。彼らは憤るナアマンに近づいて言いました。「わが父よ。難しいことを、あの預言者があなたに命じたのでしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。あの人は、『身を洗ってきよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」(13)名もないしもべたちの言葉には説得力がありました。そこで、ナアマンは下って行き、神の人が言ったとおりに、ヨルダン川に七回身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。」(14) 『預言者の言葉を信じて従った』結果が、見事な癒しと回心の恵みでした!ナアマンは裸の恥、ツァラアトの恥を人々の目の前にさらし、エリシャの言葉通り、身を低くして、ということは、心と魂を低くして、言われたとおり、七回、そのヨルダン川に身を浸したのでした。結果、不治の病とも言われていたツァラアトは癒され、幼子のからだのようになり、きよくなったのでした。イスラエルの神に栄光!
<お知らせ>
▶痛ましい記念の8月から80周年を迎えました。「神との平和・人との平和」をひたすら祈りできることをさせて頂きたく祈ります。
▶礼拝後は、「プロジェクト希望にむかって委員会」です。平地にすなわち全員が同じフロアで礼拝でき聖餐にも与かれる新会堂を神様にお献げできますように!!なお熱くお祈り下さい。
▶次週、偶数月の第3聖日は「歌声カフェ⑭」を礼拝後に行います。担当の方による「救いの証し(どのようにしてクリスチャンになったか)」とその方の「愛唱賛美」を歌います。よい伝道の機会として用いられますようお祈り下さい。