わたしのもの

あなたを造られた主はいまこう言われる。「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。」 イザヤ書43章1節

私の身体は私のもの、私の人生も私のもの。そうでしょか?そうではないと、聖書の神は言われます。それは創造主、贖い主なる神のものだと。他人の目から見て、あるいは自分の目で見て、私がどうであれ、神は宣言されます。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(四節・新改訳)と。わたしはあなたを贖い、名を呼んだ、あなたはわたしのものだから恐れないでよい、わたしはあなたとともにいるのだから恐れないでよいと、繰り返されます。悩みの大川の中も、患難の炎の中も大丈夫だと。
もし私が自分で人生を握っていくなら、きっとメチャクチャです。キリストに出会って救われる前を思えば、明白です。しかし「神のもの」としてすべてを任せる時、最高の目的ー神の栄光のために生かされるのです。

(小野淳子「神と共に歩む日々」より)