ペテロ

suisen「主は振りむいてペテロを見つめられた。そのときペテロは、『きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう。』 と言われた主のお言葉を思い出した。」
(ルカによる福音書22章61節)

 

 

 

 

「こんなはずではなかった! どうしてこんなことをしてしまったのか?!」ペテロにとって、大変重大なことでした。「主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたとご一緒に行く覚悟です」(33節)との自信に満ちた発言をした同じ口から、「わたしはその人を知らない」(57節)ということばが出てきました。自分が自分を知る以上に、もちろん他人が自分を知る以上に、私自身を知られるお方がおられるのだと悟ります。ペテロがきっと生涯忘れられなかった、主が振り向いて彼を見つめられた主の瞳。「わたしはあなたのすべてを知っている。それでもあなたを愛して信任したい」と語っておられたのではないでしょうか。この主の瞳があってこそ、ペテロの回復もあったのでしょう。 ペテロを見つめられた主は、今も同じ視線を私に投げ掛けていてくださいます。

(小野淳子著「神と共に歩む日々」より)