<父の愛>
「このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから」。それから祝宴がはじまった。 ルカ15章24節
父のところを離れて、遠い所へ行ってしまった弟息子は、父なる神様に背を向けて歩む人の姿であり、神のみ前に「失われた存在」です。まだ父親の存命中に、自分が受け取るはずの分を父の財産のうちから請求し、幾日もたたないうちに、弟は自分のものを取りまとめて遠くへ去って行きました。その遠い地で、彼は放蕩に身を持ち崩して、今まで持っていた財産を見る見るうちに使い果たしてしましました。 お金はお足と言われる如くです。ちょうど悪いことにその地方にひどいききんがあり、食べる物も無く、ある住民の所に行き、豚を買うはめになりました。豚の食べるいなご豆でもひもじい腹をなんとか・・・・と思う中で、父の家を思い、「彼は本心に立ちかえって(17)とあります。その時はじめて、自分の姿、本当の姿が見えてきたのでした。本心に立ち返って我に返って、彼は愕然としたのでした。そして、自分は天にも父にも罪を犯して、もう父の息子の資格はないと、心のどん底から悔い改め、その告白をしようと父の家に向かいました。父は、きっと叫びつつ祈り、日々、息子の帰りを待っていたことでしょう。ゆえに、遠くに息子を認めた時、「哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した」(20)のでした。
完全なゆるしの愛。死んでいた息子が見つかったのだ。父の心には、出かける以前となんら変わらない息子でした。息子の悔い改めの言葉をさえぎるようにして、着物だ、指輪だ、はきものだ、子牛だと。父なる神の愛の何と透明な、崇高な、無限無量の愛だろうがと、読むたびに聞くたびに、圧倒されます。ある時から「父なる神の無限のご愛」と、祝福のたびに祈ることにしています。
【祈り】天のお父様、これほどの愛を持って愛されている者であることをいつも覚え、そのような愛をもって、失われた方々のために祈る者としてください。 ♪ 新聖歌 88
「べラカ」5/7(土)分『父の愛』 (小野淳子担当)