1月最終聖日でした。2025.1/26(日)
≪今週のみ言葉≫
「私と私の家は主に仕える。」 ヨシュア記24章15節
説教題:『神に仕える決心』 聖書:ヨシュア記24章14~15節
「主が、周囲のすべての敵からイスラエルを守って安息を与えられてから、多くの日がたち、ヨシュアは年を重ねて老人になっていた。」(23・1) 【死期が迫ったヨシュアは、全イスラエルを前にし、民の行く末に一抹の不安を抱きつつ、心を込めて決別の説教をしました。そして、最後に「あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶがよい。ただし、私と私の家は主に仕える」と、自ら主に仕えることを宣言し、民に向かって鋭い信仰の挑戦をしたのです。】(『牧羊者』p.23)「これらのことの後、主のしもべ、ヌンの子ヨシュアは百十歳で死んだ。」(24・29)とありますから、言わば遺言のような説教でした。
Ⅰ.選択を迫る。 それは<決定的な選択>です。【主に仕えるのか、それとも他の神々に仕えるのか、どちらの神を選ぶのか、何を神として仕えるのか、それはまことに<決定的な選択>です。人間の運命を左右する選択だからです。この選択に、これからの人生が永遠までもかかっています。それはまた、<一人一人の選択>です。神様は人間創造において、一人一人に選択する自由と権利をお与えになりました。「人間が創造された目的は、愛。人は神と愛し合うため、人間同士互いに愛し合うために造られたのでした。愛するということを誰かに強要することは誰にも出来ません。(強要された愛は、愛ではありません。)】(『牧羊者』p.23)そしてそれはまた<きょうの選択>でありました。「あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶが良い。」(15)神様もまた<今日>と言われます。「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。」(ヘブル4・7)「見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。」(Ⅱコリント6・2)
Ⅱ.決心を迫る 本日のテキストの14節には、四つの命令文が続いて出ています。「主を恐れなさい」「主に仕えなさい」「神々を取り除きなさい」「主に仕えなさい」『仕える』というヘブル語で「アーバド」という言葉は、14,15節の中で7回も用いられています。実際の行動において神に仕えることであり、それは主を恐れる魂から出てくるものです。そのためには、「誠実と真実をもって主に仕える」ことです。15節において、ヨシュアは「主に仕えることが不満なら」と、主以外の別の神々であっても、「あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶが良い。ただし、私と私の家は主に仕える。』と、固い決心のほどを告白したのでした。「私」という主語が強調されています。他の人々がたとえどうであっても、またあなたがたがたとえどうであっても「私は」との強調文であり、また同時に「私の家」も、そのようにあろうとしていますとの告白でもあり、民への迫りでもありました。 時あたかも『愛と希望の祭典・四国』に向けて「アンデレ・カードによる祈り」が始まりました。一人で、あるいは一家族でだけでなく、教会として共に≪家族伝道≫に取り組む決心のあらわれです。誠実と真実をもって、祈る祈りに、神が豊かに応えて栄光をあらわして下さるに違いありません。共に祈り、「私と私の家が主に仕えられますように!」
<お知らせ>
▶1月は「いぬ」(行ってしまう)、2月は「逃げる」、3月は「去る」と昔の方々は良く言われたものです!早くも1月最終聖日を迎えました!1カ月の守りを感謝し、新しい2月の月も、主の祝福の眼差しの中を教会として歩みたく祈ります。
▶2/2(日)は礼拝直後に「教会総会」が行われます。役員改選の年です。神様のみこころの内にすべてが進められますように、どうぞご加祷下さい。