聖餐式礼拝でした。2026.8/2(日)
<今週のみ言葉> 「神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいまし た。」 テモテへの手紙第二 1章7節
説教題 : 「キリストの自制」
聖 書: マルコ1:21~39、Ⅱテモテ1:7
御霊の実の最後は、「自制」です。国語辞典では「時に、むき出しにしたくなる自分の感情や度が過ぎがちな欲望を抑えること。抑制」とあります。英語聖書は、「セルフ・コントロール」です。「自制」はより内面的、「節制」は外面的で、内側に「自制」が働き、外面に「節制」、「節度」ある言葉、態度、行動が伴うことです。9つの御霊の実の締めくくりが「自制」です。どんな豊かで力強い働きの実を結んでも、最後は「自制、節制」で、私たちの言葉、態度、行動が抑制され整えられる必要があります。キリストを信じる者のうちにおられるご聖霊は<慎みの霊>(2テモテ1:7)です。ですから、私たちのうちにいますご聖霊を絶えずあがめ、信頼し、委ね、ご聖霊に従って歩むことが、クリスチャンの自制(セルフ・コントロール)の秘訣です。
1.人としての主イエスの自制 (マルコ1:21~39) ここには主の公生涯の一日が出てきます。弟子たちが朝起きると、いつも主はおられず、荒野に、湖に出て一人祈っておられました。(35) 主はその前日、実に忙しい一日を過ごされました朝、安息日礼拝に集まった人たちに全力全霊で語られ、汚れた霊を追い出されました。午後、会堂を出てペテロとアンデレの家で熱病に苦しむシモンの姑を癒されました。夕方からは、一層大変でした。人たちが、病人や悪霊につかれた者たちを大勢連れて来たのです。(33)主が一日の働きから解放されたのはいつかわかりません。主の肉体は疲れ果てておられたのです。このような日の次の日にこの早朝の祈りがあるのです。
2.早朝の祈りの意味 主が肉体に鞭うっても祈られた理由は何でしょう。
①誘惑に勝つため (1:28)主はすでに有名人です。人々の良い評価、もてなしを受けられました。しかし、そこにはいつも<誘惑>が隠されています。良い評価と居心地の良さは、主と弟子たちの宣教への厳しさを失わせ、その地に留まりたいという気持ちになり、「出て行って、福音を伝える」という本来の使命を忘れてしまう危険があるのです。主イエスは、その誘惑を知っておられ、誘惑に勝つため朝早く祈られました。
②新しい力を得るため(マルコ5:30)イエスさまは、「ご自分のうちから、力が外に出て行ったことに気づかれた」とあり、主の御業は機械的なものでなく、いのちがご自身のうちから流れとある生命的なものであるのです。私たちと同じ限界あるものとなられた主イエスは、もう一度、上からの新しい力に満たされることが必要だったのです。 ③新しい導きを求めるため (38)この朝、主はカペナウム伝道を継続すべきか、祈りの中に父に聴かれました。主は祈りを通して自分自身に言い聞かせるように言われました。「そのために、わたしは出てきた。」(38)これは、主のご生涯の原点を指すことばです。この使命の原点に立ち返り、そこに生きるようにと働くものが自制です。「自制」とは、神のために自分を制し、神の御心をなすことを喜びとすることです。私たちのうちにおられる、ご聖霊、その恵みによって、この自制という御霊の実を身につけさせていただきましょう。

