9月最終聖日礼拝でした。2026.9.27(日)

アサフの詩                             詩篇73:1~28

 アサフという一人の信仰者のつまづきから教えられたいと願います。

1,つまづき・「神の義の問題」 (1~12)  

 73篇には、神が造られ支配しておられる世界に、どぅして正しいものが苦しみ悪者が繁栄しているのか」という疑問が取り上げられています。このような訴えは旧約聖書にも出てきます。「ヨブ記」はその代表です。アサフは「私自身は、この足がたわみそうで、わたしの歩みは、すべるばかりだった」と、彼の信仰と敬虔な生活が揺らぎ崩れそうになったのです。しかし、幸いなことに、ギリギリで正しい信仰に踏みとどまることができました。

2,見分ける霊的な目(3) 

 アサフのうらやみ、ねたみは、悪いものが繁栄し健やかでいる現実を見たことから生じました。(4~12)しかし、ここで私たちが気づくべきは、「祝福とは何か」という問題です。本当の祝福と偽りの祝福とは全く別物であり、ねたみやひがみの根っこは、この本当の祝福と偽りの祝福とを見分けられないところにあるのです。多くの人たちが信じ追い求めている成功、栄達、勝ち組になること、その誇りが本当の祝福なのか・・ということです。へブル11章には、モーセの信仰が証しされています。モーセはこの世(エジプトの栄華)が約束する楽しみ、喜び、快楽が、実ははかないものであることを見抜き、神にある永遠の報いにこそ目を留めていたのです。(へブル11:26) 

3,信仰の転機(25) 

 アサフが目を開かれ、本当の祝福とこの世が約束する偽りと悲惨な結果を知ったのは、「神に「聖所に入った」(17)ことです。矛盾を抱え疑問をもったまま神様に近づきました。その時、彼は4つの真理に目が開かれたのです。

 ①「悪しき者の最後」(17~20) 

 アサフは、この世のはかなさ、罪と欲望生活の究極を見、知ったのです。私たちも、この世の究極を見極めておかねばなりません。(1ヨハネ2:15-17,ピリピ3:19)

②「自分の姿」(21~22)

 自分が「愚かで、わきまえもなかった」ことに気がつき、浅はかな人間の知恵で神のご計画のすべてを知ろうとした愚かさがわかったのです。

③「神が共におられ、彼をつかんでいてくださった」(23) 

 アサフがつまづき、心揺らいで信仰を失っていたときも、神は彼の右手をしっかり捕まえていてくださったのです。

④「本当の祝福」 (25) 

 「わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。地にはあなたのほかに慕うものはない。」(口語訳) 神様以上の宝は天にも地にもなく、わたしが慕うお方は神ご自身であり、神さま以外のものは何も望みませんという告白です。 私たちも「アーメン」と申し上げましょう。  ♪「きみは われのまぼろし」